今回の大会テーマは、「さようなら写真館!?」です。 生成AIが社会の構造を変えつつある今日、写真館の業界も大きな変化を迎えているように感じます。 前回9月の研究大会では、コマーシャル写真とモデルの仕事は、生成AIによって淘汰される可能性を示唆しました。実際その後発表された、伊藤園の新製品のテレビコマーシャルやパルコのファッション広告では、実際のモデル撮影は行わず、人物から背景にいたるまで、呪文と呼ばれるプロンプトを使う生成AIで作成されました。近い将来、これまでの写真館の業態にも、「さようなら」する日が来るのかもしれません。時代の激流に身を委ねざるを得ない時こそ、自分自身を見つめ直す必要があると思います。 写真館の仕事の本質は何か?みなさんそれぞれにお考えがあるかと思います。最近私は、よく考えるようになりました。「写真館の本質は、時間と共に失われていかざるを得ない愛すべき家族の思い出を、永遠に残すこと」と、考えるようになりました。これまでは、そのためにカメラを使うことが前提でしたが、これからは必要がなくなるかもしれません。 翻って私たちの祖先である写真師たちが「写真館」を始めた100年以上前の頃を思い起こしてみましょう。幕末から明治初期の時代の写真師たちは、当時最先端の光学技術である暗箱と、化学を応用した感光材料を駆使して、写真を撮影しています。写された被写体は魂が抜かれると恐れられたように、当時の人々は写真師たちが「魔法」や「魔術」を使っているように思っていたに違いありません。 その頃の写真師の声が聞こえてきます。「我々が当時創りあげたビジネスモデルにいつまでしがみついているつもりだ!写真師はいつだって時代の最先端を闊歩してきたのだ。さあいまこそ、プロンプトという呪文を使って、100年ぶりに魔術を取り戻せ」と。 今回、ご講演いただく松尾公也氏には、写真館を生成AIのプラットフォームとして再定義することで見えてくるビジネスモデルの可能性についてご教授いただきます。 会員のみなさんの活発な議論を期待します。
略歴 松尾公也(まつおこうや) ・1982年から8ビットパソコンでDTMを開始 ・Mac専門誌「MacUser」を編集長として立ち上げる ・ネットメディアを経て現在はテクノエッジ編集部シニアエディター兼コミュニティ・ストラテジスト ・GarageBandの著書2冊と、AIに関する共著あり ・ポッドキャスト番組「backspace.fm」のパーソナリティを担当 ・妻が遺した歌声をAIで合成して新しい曲を作り続ける超愛妻家。妻が遺した写真をもとに、生成AIにより新しい思い出を生み出している。その様子はNHK、TBS、フジテレビ、ABEMA TV、読売新聞、共同通信などで大きく取り上げられた
2022年夏、画像生成AIの最初の波が生まれ、瞬く間に世界中に広がりました。文章を入力するだけで思い通りの写真、イラストを生み出せる、たしかに画期的なことですが、これまでの手法が無駄になるかのような危険物ではないのか……。そういう危惧を抱く方は多いかもしれません。しかし、絵画やイラストのアーティストと比較して、写真家の方々はこの動きをポジティブに捉え、新しいチャンスを見出している方も増えています。 では、そこにどういう可能性が広がっているのか。生成AIで学習した妻の写真をもとに、新たな思い出を作り出そうとしている、おそらく世界でも類を見ない活動をしている自分の体験をもとに、生成AIと組み合わせることで飛躍的に広がる可能性を持つ写真館というプラットフォームが、新たに切り開けるであろう展望について提案させていただきたいと思います。
写大の頃からコダクローム25を使い、自分専用写真として保存していた。印象に残るいろいろを撮り続け、その後にはベルビア50を使って、ぶらりぶらり被写体探しの散策から、勝手ネーミングの「 光画散撮 」。SNS時代になり、主にiPhone撮影。日々のアップは自己鍛錬の場。その反応が次の糧になっている!
北陸、福井県のさらに田舎の方で「町の写真館」の二代目をやっております。「町の写真館」なんだから地域密着で撮影関係ならなんでもやります的なお店にしよう!と思って帰ってきましたが、約20年経ってもそんな感じになってない。思ってたのとは違うけど、なんだかんだで楽しくお仕事させてもらってる話をさせていただきます。
インボイス制度が始まって数ヶ月経ちますが、未だに馴染まない、面倒になった、対応はこれで大丈夫なんだろうか・・・など、様々な思いが錯綜していることと思います。写真舘にまつわる業務内容で必要と思われるインボイス時代の消費税対策をお伝えしようと思います。
東京都江東区の写真館アトリエベルフォトをベースに活躍する次元上昇フォトグラファー加藤慶子。自己表現としてのプロフィールやポートレートにAIの背景を使用したらもっとワクワクする写真になるのでは?というチャレンジのレポート。
昭和57年。先代が51歳で急逝し大学在学のまま写真館を継いで以後、自分自身がどう行動し、何を成そうと考えてきたかを失敗談や反省する点などを含めて楽しくお話しできればと考えています。